|
これは勝手な想像なんだけど |
フィギュア女子、ロシアのワリエワ選手について。
彼女が「絶望」の異名を取る、という話を聞いた時 なんともネガティブな言葉を使うものだなあと強い違和感を覚えました。 ロシア人はことばに対する感覚が日本人のそれとは違うのかもしれないけれど 15歳の天才少女を讃えるのであれば、もっと明るく華やかな、ポジティブな言葉を選んであげればいいのに、と。
国別対抗戦で、ほとんど初めて彼女の演技を見たのだけれど ただ単に体が軽くてジャンプが飛べるだけじゃない。すごい才能だなと感じました。 世界中のスケートファンから長く愛される存在になってほしい。かつての浅田真央がそうであったように。 そう思いました。
そして、あのドーピング疑惑。
15歳の少女が、世界中から批判と非難を浴びることになってしまった。 彼女を守りたいと思うなら、いったん引くべきだった。 そんなシンプルな危機管理もできない(する気もない)ROCスタッフと 表彰式を行なわないという、いわば他のスケーターを人質に取る形でえげつない脅しをかけたIOCと どんだけ頭悪いんだ?と首をかしげざるを得ないスポーツ仲裁裁判所(CAS)の判断。
彼女がフリーの演技を失敗したのは わざとなのか、そうでないのか でもおそらくああいう形でしか、この混乱を収束する方法はなかった。
この騒ぎの中で、気になる動きをした人がいる。 羽生結弦。
「個別に取材対応するのは大変なので」と彼が記者会見を開いた14日は ワリエワの出場可否についてCASの裁定が出る日。 これは偶然だろうか?
自分の影響力をよく知っている彼が 世間の注目を自分に集めることで ワリエワの出場の是非が大きな議論にならないように取り計らったと思うのは、うがった見方に過ぎるだろうか。
スケート選手はしばしば、年齢や国境の枠を超えて親しくしている姿が報じられる。 羽生選手とワリエワ選手のツーショット写真も、ネットニュースで大きく取り上げられていた。 表立って擁護することは出来ないけれど 同じスケート選手として、次代を担う異国の天才少女の助けになりたい 少なくとも、彼にとって最後になるであろう五輪のこのギスギスとした重苦しい空気を何とかしたいと 彼が考えたとしても不思議はないように思えるのだ。
最終日のエキシビション 羽生選手が選んだプログラムは「春よ来い」 そのプログラムを選んだ理由をインタビュアーに問われて「いろいろあるんですけど…」と言葉を濁した。
国際大会でいつも使っているプログラム 痛めた右足に負担のかからない構成 というだけでなく
本当ならこの祝祭の中心にいて称賛と祝福を受けていたはずの人 そこにいる皆が笑顔の下で、あえて触れないでいること 既に故国に帰った彼女に向けて送った応援歌ではないのか。 日本語のこの歌の歌詞の意味が、届くかどうか解らないけれど。
“あふるる涙の蕾から ひとつひとつ香り始める” “春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まる時 夢をくれし君の眼差しが肩を抱く”
シニア大会年齢制限の引き上げ案が、今回の件をきっかけにようやく動き始めました。 今度こそクリーンな選手として 17歳のワリエワの演技を、ぜひ見てみたいと思うのです。
あくまでいちスケートファンの、勝手な妄想です。
スポンサーサイト
|
|