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支援制度の変遷について |
某巨大掲示板の過去発言救出シリーズ 今回は「支援制度の変遷について」
現在、発達障害児に対し様々な支援制度が整備されてきてはいますが その多くが所得制限を設けており、右へ倣えでほぼ同程度の収入を目安にしていることから 少し収入が増えたどこかのタイミングで、突然自己負担が高額になる、様々な手当ても頂けなくなる。 もう少し細かく段階を設けるといった緩和措置はないものか、という話題が掲示板上で出たことがありました。 そこで、なぜ現状このような制度になったのか、その経緯をまとめてみました。
負担額の変遷についての資料を見つけましたのでリンクを貼っておきます。
https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=8567&sub_id=22&flid=127344 ↑の4ページ目です。
うちの子が診断がついて福祉サービスを受け始めた頃(2006年)に 「障害者自立支援法」というものが出来ました。 それまで原則無料だったものが、財源の関係で有料となり その際、所得税課税世帯はみんな一律に月上限37,200円になったんですね。
さすがにこれは負担が重すぎるというので、全国でものすごい批判が巻き起こりました。 うちの子がお世話になった通園施設の保護者会長をされていた先輩ママさんが、県庁まで出向いて涙ながらに訴えたそうです。 おそらく全国で同様の動きがあったのでしょう。翌2007年「特別対策」として所得割16万円未満世帯(年収600万円未満程度)は上限9300円に軽減され、とりあえずホッと胸をなでおろしたことを覚えています。
さらにその翌2008年「緊急措置」として所得割28万円未満世帯(年収890万円程度)は4,600円となり、対象となる世帯が増える(障害児のいる世帯の8割以上が該当)とともに上限金額も引き下げられました。子育て支援の意味合いもあったようです。 https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n320/n320002.html
その後、障害者自立支援法は障害者総合支援法に看板が替わり 障害児については児童福祉法に根拠法が変わりましたが 金額部分についてはこれ以上の見直しは行なわれず 現在まで引き継がれているということのようです。
私個人的には、最初の37200円のインパクトがあまりに強かったもので 最初の軽減措置のところで情報の更新が止まっていたんですが(^^ゞ でもその最初の軽減措置を勝ち取るために全国の皆さんがものすごく頑張ったことだけは覚えています。
せっかくいろんな施策があるのに、all or nothingになってしまうんですよね。 当事者が声を上げること 当事者以外にも共感してもらえるような情報発信をすることが大切かなと思います。
昔語りついでに
費用負担は軽減されたものの 当時は受け皿が少なかったこともあり 療育手帳を持たない子は福祉のサービスを利用させてもらえないという状況がありました。 自立支援法が改正され、知的な遅れのない発達障害のある子が支援の対象になると明記されたのは2010年のことです。
また、集団保育が困難であるという理由で 幼稚園や保育園へ入れてもらうことが今よりずっと困難な時代もありました。 電話帳を片手に片っ端から電話をかけては断られて、切ない想いをする親 「金なら払うから受け入れてくれ」と、私的契約という形で保育料表の最高金額を払うというようなことも行なわれていました。 障害を理由に受け入れを拒否することは差別に当たると明記した 「障害者差別解消法」が出来たのが2013年のことです。 「合理的配慮」という言葉もこの時に世に知られるようになりました。
幼保無償化の際 通園施設に通う子たちは当初は対象から除外されていましたが それはおかしいのではないかと声を上げたのも 当時子ども達を通わせていた若いお母さんたちです。
こうした法律を作ったり改正しようという時 政治家やお役人は、いわゆる障害者団体に意見を聞くことが多いです。 近年、親の会へ入会する人は年々少なくなっているのが現状ですが それは若い人の意見や要望が国へ届きにくくなることを意味しています。 パブリックコメントなど、意見を届ける機会は多様化してはいますが それほど遠くない過去にこうした経緯で現在の支援が整備されてきたことを この機会にお伝えしたいと思います。
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