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障害児育児は登山に似てる説 |
某巨大掲示板の過去発言救出シリーズ 今回は「障害児育児は登山に似てる説」
山登りをする時にね。 麓から頂上を見上げたら、ものすごく遠くにあるように見えるでしょう? 「本当にあんなところまで、歩いて行けるのかなあ」 「え~絶対ムリムリ」 って気分になっちゃうと思うんです。
それでもとにかく歩き出す。 自分の足元だけを見て。
登山って、登り始めが一番きついんです。 だから最初はゆっくりゆっくり、前を行く人の踏み跡をたどりながらじっくり高度を稼いでいく。 うっそうとした森の中、段々無口になって、息を切らして
とりあえず、その曲がり角まで。 とりあえず、この階段のてっぺんまで。 先を行く人が危険な箇所を教えてくれたり 降りてきてすれ違う人が励ましてくれたり 速い人に追い越されたり 先に行った人が休憩しているのをこちらが追い越したり
息が切れて、汗が目に入って、苦しくて、なんでこんなことやってるんかなあって
そんなとき不意に、視界が開ける場所ってあるんですね。
下界が小さく見えて いま自分が歩いてきた道が細く見えて 涼しい風が吹き抜けて ああ、私、いつの間にこんなところまで登ってきたんだろう、って思えるタイミングが。
進まなきゃ、そこにはたどり着けない。うずくまって泣いているだけじゃ。 それは苦しい思いをした人しか見ることが出来ない景色なんだろうと思う。
現実の山にはタイムコースっていう、踏破するための目安時間があるのだけれど この山登りには、制限時間はありません。 そして登山ルートにも色々あって 急な崖を一気に登る人もいれば、山腹を巻く遊歩道をゆっくり上る人もいる。 三千メートル級の高山を征服する人もいれば、里山の恵みを楽しむ人もいる。 そこに本来優劣なんかなくて それぞれが自分の力量に合ったルートで、それぞれの目的地にたどり着ければ それでいいはずなんですよね。
とりあえず、いま目の前のこの難所をもうひと踏ん張りしてみましょうか。 その前にいったんひと休みして栄養補給するのもアリですよ(^ ^)
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