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病気と障害 |
「Qさま!」というテレビ番組の中で クイズの解答として自閉症を病気として扱い、提示されたイラストも不適切だったとして 抗議を受けて番組HPでお詫びと訂正があった、という事件があった、らしい。
我が家は基本ゴールデンタイムにテレビを見ない家なので 直接視聴していなかった件についてコメントはしないつもりでいたのだけれど
実は火曜日に親の集まりがあって、先輩ママさんから「こんなことがあったんだよ」と教えていただいたのだけれど 私自身はそれほど憤りを感じなかったんですね。 まあ、一番は直接観ていないからなんですけど。
あきのすけの療育手帳を、更新判定の結果返納させられることになって 精神障害者保健福祉手帳なら取得できますよって言われた時
「え…でもそれって、いわゆる“こころの病”の方たちのための制度だよね?」 「自閉症は心の病気じゃない、って、これまで一生懸命訴えてきたことに逆行するんじゃないの?」
そういう迷いがありました。
「自閉症は医学的には、ICD-10(国際診断分類)で精神疾患に分類されているんだから、 堂々と申請していいんだよ。」 と言われて、ナルホド。と思って。
そして迷いが生じるのは、私自身の中に、こころの病の方々への差別意識があったせいではなかったかとも思い。
一見して解りにくい、理解されにくい、発達障害の子の持つ生きづらさは むしろ彼らと共通する点が多いのかもしれないと思うようにもなり。
申請して、手帳をいただいて、ときどき提示して。
だから私の中では 病気と障害を目くじら立てて区別することにどれだけ意味があるのだろうかと思うのです。 疾患名として××障害という言葉が使われさえするのですから。
改めて「何が違うの?」と 若いお母さんや、障害者に縁遠い方々に どうやったら解りやすく説明できるのか。
思うに、 「病気」の反対語は「健康」です。 「健康」という好ましい、望ましい状態の対極として「病んでいる」状態がある。 それは可及的速やかに解消されるべき、有り得べからざる状態である。
その「有り得べからざる状態」という視線を一生涯浴び続けなければならないこと、 自分の属性を常に否定され続けること、 それがどんなにつらいことであるか ほんの少しだけ想像力を働かせてほしいのです。
「障害」の反対語を挙げるなら「健常」ですが この両者に「病気」と「健康」ほどの厳しい対立関係は、少なくとも私は感じません。 それは、この両者は単に異なる状態像を示しているに過ぎず、 相互に入れ替わることが想定されていないからだと考えます。
正確には、健常者の方が事故等で障害者になることもありますし 精神障害などはいずれ治癒することもあるでしょうし うちの子みたいに知的障害の定義から途中で外れるケースだってあるわけですが
少なくとも障害者に対して健常者に「なれ」という圧力をかけるのは非道なものとみなされるのが いまの社会だと思います。
けれども発達障害を「病気」であるとしたとき そこには「治療して健康になるべき」という圧力が生じます。 全ての困難の原因が「病気」の二文字によって 「患者」自身に帰せられてしまいます。 「治療」すれば困難はなくなるんでしょう?と。 そして「治療」なんだから医療の守備範囲だよね、病院行って薬でも飲めばいいんだよね、 でも有効な治療法が見つかってない不治の病なんだから、諦めるしかないよね、って。
それじゃあ誰も幸せにはならないでしょ?
「障害」という、特定の機能が恒久的に欠けた状態であるならば それを補うための方法を考えるでしょう。 車椅子や義手・義足、補聴器、白杖や点字、ペースメーカー、人工喉頭etc. 特定の機能が欠けた状態は存在し続けるけれど それも含めての自分なのだと 私はこのままの私として、より良く生きるために何ができるかを考えていいのだと
そう思いたいのです。 そう思ってもらいたいのです。
だから 現時点で治療法のない病気だと涙にくれている若いお母さんには 私はやっぱり言い続けると思います。 自閉症は、病気ではなく、障害だよ、って。 それは「有り得べき状態」という呪縛から彼女を解き放つ助けになると信じているから。
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