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魔の二歳児時代 |
2才の誕生日頃、K先生から親子教室の案内をいただいた。発達に気がかりのある子とその親を集めて一緒に遊びながらいろんな専門家のアドバイスも受けられて、参加費はタダだという。こんなオイシイ話はないので即お願いしました(^ ^) これがいわゆる自治体の集団療育と呼ばれるものだと知ったのはごく最近のことで、当時の私の認識はあくまで「プロに遊び方を教えてもらえる」程度のものでした。
しかしただでさえ反抗期で大変な2才児、 ましてや親の言うことが耳に入らない・自分の要求が表現できない・睡眠障害や感覚異常や、時には自傷傾向まである自閉っ子ですから、それはもう(汗) それでもなにせ初めての子ですから、こういうものなのか、自分の育て方が悪いのか根性無しなのか、疲労と無力感とイライラとあらゆるマイナスの感情に襲われて、一時期もう子供の顔も見たくない触るのも嫌、でも誰にも代わってもらえないから仕方なくただ機械的に世話をしているという、デンジャラスな精神状態に陥った時期もあり。 虐待に走らず乗り切れたのは保健師のSさん、保育士のM先生はじめスタッフの皆さんのおかげですm(_ _)m
初めは歌も手遊びもできず、体操の時も自分勝手に走り回ったり、片隅で自分の世界に浸っていたあきのすけ。私はなんとか「きちんと」参加させようと躍起になっては肩を落として帰る、の繰り返しでした。それでも先生方は彼を決して叱らず、少しでもできたことがあったら目ざとく見つけて大いに褒めてくださいました。母親同士も、お互いに我がことのように笑顔で手を叩きました。 そういう小さな成功体験を積み重ねるうちに、あきのすけも次第に遊びの輪の中に入れるようになってきました。 私は、あることを思い出しました。
子供は楽しいことしかやりたくないんだって事を。
子供が楽しいと思うことに付き合ってやろう。大切なのは、「きちんとさせること」じゃなくて、「楽しいと思えること」だ。あきのすけが自分なりに楽しいと思えれば、それでいいじゃないか。 通い始めて約半年、私がようやくそう思えるようになった頃から、あきのすけは急激に成長を見せ始めました。私や先生に笑顔を見せ、後を追い、歌や手遊びを楽しみ、家でも体操をせがみ。一緒に楽しく遊べるオプションが増えてくるに連れて、笑っている時間が増え、ようやく育児が楽しく思えるようになってきました。
外出先でパニックを起こしたり、やたら寝つきが悪かったり、回るものや数字などに対する強いこだわりで親を悩ませたりもしましたが、そういう自閉特有の問題行動への対処の仕方も手探り体当たりで覚えていった一年でした。
米国ではこの年頃の子供たちに対して早期介入プログラムEarly Interventionというシステムがあり、無料で積極的に療育を受けさせてくれるそうです。 日本では障害者に対する社会的認識の問題から、疑いがあっても「様子を見ましょう」、3才前後まで待って診断がついてから本格的療育、医師や施設の不足のため待機させられたり専門的な療育を受けられなかったり、保護者や親族の反対で療育の機会を奪われたり。 ネット掲示板など見ていると、2才前後で「疑いがある」とだけ言われて放り出され、「発達検査」や「療育」などなじみのない言葉に戸惑い、どうすればいいかわからず途方にくれている親がなんと多いことか。 告知の問題(医師法や社会的問題の絡み)、費用やマンパワーの問題はあるでしょうが、早期介入プログラムのような取り組みでこの層をケアすることが自閉症児の予後のみならずボーダー児の社会性の向上、ひいては不登校や引きこもり等の問題解決につながるのではないか。 早期療育の恩恵を受けたものとして、そう感じています。
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