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そろそろ七五三の季節ですが |
いつも入り浸っている(爆)障害児の母掲示板で、 そろそろ七五三の話題が出る季節になりました。
過敏やこだわりのある子だけど、袴やスーツ着てくれるかしら…。 神社でのご祈祷の間、おとなしくしていてもらうのは難しいかも…。 写真屋さんで暴れたらどうしよう…。
子どもを愛すればこそ、 伝統行事を盛大に祝ってやりたい気持ちと 形式にとらわれて子どもを傷つけはしないか、 よけいな負担をかけてかえって苦い思い出の日になってしまうのでは、と 親は心揺れるのです。
「形なんかどーでもいいじゃん。 要は子どもが成長したことを家族みんなで楽しくお祝いしてあげられれば。 うちなんか、近所の神社でお参りだけして、家の前で記念写真撮って、スーパーの千歳飴なめて済ませたよ。」
そんなお話をするわけですが。
そもそも七五三の由来って、なんてことを思って、なにげなくウィキペディアを開けてみたのですが。
ちょっと嫌な記述を見つけてしまい、心がざわついています。
『障害者を間引く為の期間でもあり、「七歳までは神のうち」という考え方と結びついていた。また、これに逆らう家の子は神隠しとして処理された。』
この前後には、当時の日本の乳幼児生存率が低かったこと、 そのため七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられるという状況があったこと、 農村部の間引きや堕胎は他の家族を守るためやむをえない措置と考えられていた、といった記述があります。
当時の時代背景、歴史的事実として、あったことなのかもしれません。 でも。
間引くって。 神隠しとして「処理」って?
障害のある子は他の村人により殺された、もしくはどこかへ捨てられたってこと? それは正当化されて良いことなの?
七五三をまともに祝うことが難しいような障害のある子は 殺されても仕方ないってこと?
お祝い事の説明文の中に、異物のように記されたこの数行が。とても痛くて。 それはきっと、昔話として笑い飛ばせない、現代にも確かに生きている排除の思想を嗅ぎ取れてしまうからで。
「読んで傷つく人がいるから削除しろ」というのは違うと理性では思うけれど。 ちょっと、ね。キツイなあ、これ。
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