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「絆」には「傷」が含まれている |
「一緒に傷つき生まれる絆」 奥田 知志さん NPO法人北九州ホームレス支援機構理事長・牧師 (2011年3月30日朝日新聞オピニオン欄より抜粋)
(前略) 息の長い支援で絆をつむいでいきたい。ただ、支援の場では生身の人間のぶつかり合いが起こり、お互いに少なからず傷つくことがある。裏切られウソをつかれることがあった。こちらが逃げ出すこともあった。長年の支援の現場で確認したことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。 もしも支援を受けた人が「こんなもの、いらない」と言い出したら、支援者は傷つくだろう。対人支援は、実はそこから始まるのだ。叱ったり、一緒に泣いたり、笑ったり。その人の苦しみを一緒に考え、悩む。そのように誰かが自分のために傷ついてくれるとき、自分は生きていてよいのだと知る。 (中略) 人の支援は、一人で支えようとしてもつぶれることを知っている弱い人たちが、それでも「何かやってみよう」と集まり、チームをつくることで成り立っている。いわば「人が健全に傷つくための仕組み」なのだ。 (中略) いま未曾有の事態を前に、私たちの前には二つの道がある。傷つくことを恐れて出会いを避けるか、それとも、顔を見せて相手に寄り添い、傷ついても倒れない仕組みをつくるかだ。
傷つくことを恐れて、絆を断ち切ってきたのが戦後日本の歩んできた道で そのひとつの帰結が、 同新聞の連載にもあった「孤族」であったり 「消えた高齢者」であったりしたのだろう。
震災後の日本は ふたたび絆を取り戻すことができるだろうか。 健全に傷つくための仕組み、 傷ついても倒れない仕組みをつくることができるだろうか。
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