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福島の心中事件 |
3月6日の朝日新聞朝刊で目にした記事ですが、 ネットニュース等では「障害」に触れた内容がほとんど報じられず 気になっていました。 先ほどようやく続報を見つけました。
何が追いつめた/福島 祖母と6歳孫死亡 http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001103090006
●障害に悩んだ遺書
福島市の市営住宅の一室で5日、この部屋に住む正木日菜ちゃん(当時6)が死亡しているのが見つかった。近くの阿武隈川では、日菜ちゃんと同居していた祖母正木春江さん(50代)とみられる遺体も見つかり、部屋には日菜ちゃんの障害に悩んでいたとの趣旨の遺書があった。県警は正木さんが無理心中を図ったとみている。祖母と孫はどんな生活をし、なぜ追いつめられたのか。(小寺陽一郎、川口敦子、古庄暢、関田航)
近所の人などによると、正木さんには、長男と日菜ちゃんの母親の長女(30代)、次女(20代)がいた。市営住宅に入居したのは約20年前で、当時は幼い長女、次女と一緒に暮らしていたという。ただ、近所づきあいはほとんどなかったという。ここ数年は、長女や次女の姿を見た人はおらず、日菜ちゃんと2人暮らしだったとみられる。
市営住宅は約10棟が密集するうちの1棟。正木さんと日菜ちゃんが横の公園で遊ぶ姿や、正木さんが白い軽自動車に日菜ちゃんを乗せ、外出する姿を複数の住民が見ている。近所の女性(72)は最近も午前8時ごろ、車で出かける2人に会った。「どこいくの」と聞くと、日菜ちゃんは「ばあちゃんと保育所行くの」と笑って答えたという。
捜査関係者によると、遺書は複数の封筒に分けて入れられ、主に次女宛て。日菜ちゃんには集団生活になじめない障害があり、小学校入学を控え悩んでいる、という趣旨だったという。正木さんは、日菜ちゃんのことを児童相談所に相談していたという。
日菜ちゃんは2、3歳だった2007年4月、市営住宅近くにある市立の保育所に通い始めたが約7カ月で辞めた。その後、09年春~秋、別の保育所を2、3回、一時利用した。この保育所の関係者によると、正木さんは「仕事に行く」と言って昼間に日菜ちゃんを預けていたという。
この保育所の関係者は、日菜ちゃんについて「当時は4歳だったが言葉もしっかりしているし、保育士らと普通に会話していた」と振り返る。一方で「落ち着きがなく、昼寝中に大暴れして寝ているみんなを起こしてしまったりすることがあった。09年秋には、みんなが並んで歌を歌っているときに、日菜ちゃんが前にいた子の首を絞めてしまったこともあった」と話す。
○就学時健診を未受診 市教委、接触できず
日菜ちゃんは小学校入学前の「就学時健診」を受けていなかった。同健診は、学校保健安全法で市町村教委に実施が義務づけられている。市教委によると、正木さん側と連絡を試みたが接触できなかったという。結果的に、日菜ちゃんの様子を把握し、支援する機会が失われていた。
同健診は視力や聴力、知能など多岐にわたる。福島市教委によると、同市では10月末までに受診することになっている。日菜ちゃんの場合、昨年8~9月ごろ、住民登録されている住所に市教委側から受診の通知を郵送。正木さんと一緒に住んでいた市営住宅とは別の場所で、正木さんの住民登録も同じだった。
しかし、通知は戻ってきた。日菜ちゃんが通う予定だった小学校の職員が住所の場所に行くと、人が住んでいる形跡はなかったという。
このため市教委は、この住所の前に2人の住民登録があった市営住宅に電話し、昨年12月に1度だけ正木さんと連絡がついた。健診のことや学区が異なる市営住宅近くの学校に通う方法もあることなどを伝えたが、正木さんから明確な返答はなかったという。
その後、正木さんや長女から連絡はなく、市教委は手紙や複数回の電話で連絡を試みたが、接触はできなかった。
事情を聴いた同市児童福祉課の担当者が3月に入り市営住宅を訪問したが、不在だったという。同課は2月下旬以降、県中央児童相談所にも連絡した。「(同相談所側は)状況は把握している部分があった」(同課)という。
一方、同相談所は「相談内容に関することはプライバシーにかかわるので非公開にしている」としている。
昨年10月以降、日菜ちゃんと接触できなかったことについて市教委学校教育課は「連絡をとる努力は続けたが、複雑な家庭事情に踏み込む判断に戸惑う部分もあった。保護者の方に責任をもってほしかったが残念だ。今後は、こうした事態になることも想定してチェック機能を検討しなければならない」としている。
市教委は頑張ったと思います。 こういう事件があると児童相談所をたたく人がたくさん出てくるんですけれど 私はまず、 7ヶ月で退園に追い込まれた最初の保育園にもの申したい。
公立の保育園が、こうした子を支えなくてどうするんですか。
たとえ園の許容範囲を超える事態があったとしても 責任もって療育なり相談機関なりにバトンタッチすべきでしょう。
記事で解った範囲では、結局日菜ちゃんはその後どこかの園に正式には入所することなく。 それでも集団を経験させてやりたいと思ったのか おばあちゃんがおウチでみる負担が大きかったのか 一時保育を2、3回利用してみたものの、それっきり。 よほど最初の園でつらい目にあったとしか思えないです。
もしかしたら障害の可能性という認識はなかったかもしれませんね。 複雑な家庭だから、おばあちゃんが甘やかしているぐらいに思っていたかも。
あまり社交的でなかったらしいおばあちゃんと日菜ちゃんは 傷ついて、そのまま孤立してしまった。何年も。
障害、と遺書に書くからには、 どこかの病院で診断を受けたか、 発達相談等でそれを示唆されたかだと思うのですが そこに関わった人がもしいたとすれば 「言いっぱなしですか?」と問いたい。
実の親でも、子どもに障害があるということはなかなかに受け容れがたいことです。 祖父母世代なら、受け容れてくれる人のほうがむしろ少数派と言ってもいいくらいです。 次々と押し寄せる患者、相談者の中にあっても 特にフォローの必要なご家庭だという嗅覚がほしかった。
居場所を用意して、 丁寧に関わってあげれば 適応できたお子さんのような気がします。
くやしいです。
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