|
不登校に関する研修会 |
小学校のPTAを通じて、「教育研究集会」への参加案内があった。 保護者にも参加をお願いしたい分科会のひとつに「不登校」が挙げられていたので 行ってみることにした。 あきのすけの一学期のグダグダは結局ただの「登校しぶり」レベルで済んだけれど あれがもっとひどくなれば、いつ不登校まで発展しないとも限らないし 不登校がきっかけで発達障害が判明したなんていう大きいお子さんの話もチラホラ伺うから。
だが、実際に現場で関わっている先生や支援グループの方のお話を伺うと 既に不登校を起こしてしまっているお子さんのケアに現場はイッパイイッパイ、 文科省や教委は「とにかく数を減らせ」 学校に顔を出させればそれでいいのだと、数字ばかりを気にしているらしい。
私たち発達障害児の親は 二次障害としての不登校を起こさせないように、ということを常に気にしているし 耐え切れなくなってこうした形で子どもがSOSを出さざるを得ないところまで追い詰められる以前に何ができるのかを考えることこそ重要なのではと思うのだけれど 「要因は個々のケース毎に様々なので…」 というところで教育関係者は思考停止されてしまうらしい。
発達障害の特性の一部である 対人関係の困難さや環境の変化への弱さに対するケアの方法論を どんどん応用していただければ、と私などは思うのだけれど 「病院になんか連れて行かない方がいい」と憤る支援者がいらっしゃるぐらいに 彼らを“障害児扱い”することには大きな壁があるのだろう。
さて、その会議の中で、最近の子どもたちの傾向として 指示待ち・受け身の生徒が多い、というような話を聞いた翌日、 朝日新聞の「あめはれくもり」欄に「もっと子どもを主人公に」という記事が掲載された。 (以下引用) 学校運営に子どもや父母が参加している国は世界に広がっている。目的は子どもたちの主権者意識を育て、権利意識と責任感を向上させていくことにある。…私は前任校で…教師・生徒・父母三者の話し合いで校則改善や授業改善を進め、また生徒たちは地域住民とも話し合い、まちづくりに参加してきた。…学校運営への参加で主権者意識が、まちづくりへの参加でシティズンシップ(市民性)が向上していることが分かる。 (引用終わり) この記事を読んだとき、 Nothing about us, Without us. という言葉を思い出した。 思えば子供たちは、自分の事を自分で決める機会や権利を充分与えられてこなかったのではないだろうか。 大人の決めたことに黙って従うことしか知らず、 それに対する思春期の抵抗の形が、より内向きな形に変わってきているのだろうか。
声を出せば、世界が変わる。 自閉症の幼いあきのすけに言葉を教える時、最初に伝えようとしたのがそのことだった。 あなたは何らかのサインを出すことで、 食べものをもらえたり、 オムツを替えてもらえたり、 散歩に連れ出してもらえたりする。 いちいち泣き叫んで暴れなくても、もっと穏やかなやり方で 周りの世界を自分にとって居心地良いものに変えることができるのだと。
でもそれは、みんなに教えるべきことなのかもしれない。 内にためてためて、耐え切れなくなるまで我慢しないで、 世界を変えるために声を出して良いのだと。 あなたたちはただ無力なだけの存在ではなく、この世界を変えることだってできるのだと。
そのためには大人も覚悟が要る。 子どもたちのサインを注意深く受け取って 相手を対等な人間として扱い、真摯に話し合わねばならない。 それを甘やかしと混同した大人の怠慢が、 もしかしたら今日の状況を招いたのかもしれないとも思う。
スポンサーサイト
|
|