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変えることのできるものとできないもの |
今日の「天声人語」にとてもいい言葉が載っていました。
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
(米国の神学者ニーバーの一節、大木英夫訳)
最後まであきらめないで戦う、って、他人事ならとってもかっこいい言葉。 そういう人を応援することで、 自分も一緒にがんばっているような錯覚に 簡単に陥ることができる。
でも人間のエネルギーは有限だから 頑張れない時だってあるし 明らかに望みのないことにエネルギーを費やすより さっさと方向転換した方がいい場面だってたくさんある。 “変えることのできない”と認めるのはとても悔しく敗北感を伴うものであるけれど いつまでも嘆いたり怒ったりしているぐらいなら そのエネルギーをもっと建設的なことに向けたほうがいい。 “変えることのできるもの”に。
それを「冷静に」見極めることが、多分いちばん難しい。
子どもの障害についても、 障害を取り巻く様々な施策についても。
必ずしも自分の意のままにならないことを受けいれるのは あるいは「あきらめ」であるかもしれない。 けれどもそれによって マイナスのエネルギーをプラスに変えることができるなら 悪くないと思う。
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