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障害=不幸か |
「障害は不便だけれど不幸ではない」 私がこの言葉を初めて聞いたのは、乙武洋匡さんが「五体不満足」という本を発表して話題になったときのことだ。 当時はまさか自分が障害児のハハなどという立場になるとは思わなかったし、 実際その立場になっても、 そんなのよほど環境に恵まれた人の言い草か、 ヤケクソの負け惜しみだよ、という気分でいた。
ありのままのあなたでいい。 「障害があっても幸せ」を目指していこう。 口先ではそう言いながら、心の底では なんでうちの子が自閉症なんだよ、冗談じゃねーよふざけんなバカヤロー。 と毒づく自分がとぐろを巻いているのだ。
だから、この文章はちょっと痛い所を突かれた感じ。
(以下、朝日新聞日曜版 「心体観測」常識ずらしの心理学⑨ サトウタツヤ 9/7掲載分より引用)
無病息災を祈る。生まれ来る子に五体満足を願う。それは何の偽りもない私たちの願いだ。では、難治性の病になってしまったら、終わりなのか。クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)が低いと考えていいのか。 (中略) 自分たちから見て欠けたものがあれば不幸で生活の質が低いというような決め付けは―健康神話の負の側面に囚われてしまっているにすぎず―あってはならない。Aならば幸せだ、という時、私たちはAでなければ不幸せと簡単に考えてしまうが、それもまた神話であり単なる虚構にすぎないと知るべきだろう。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんを支援するプロジェクトに参加されている立場から書かれた文章ですが、 他の疾患・障害に関わる人間にとっても、示唆に富む一文ではないかと思います。
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