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回転することの意味 |
自閉症の徴候として有名なもののひとつに、まるでフィギュアスケートの選手のように「その場でグルグル回り続ける」というのがある。 疑い段階あるいは診断直後ぐらいの、親もまだ精神的に不安定な時期に、横目使いでよだれをたらしながら陶酔しきった表情でこれを延々やられると、「いい加減にやめなさい!」と張り倒したい心境に駆られたのは、きっと私だけではないだろうと思う。
自閉症児が回転運動を好む理由としては、 自分が周囲の景色を「動かす」ことで有能感を得ているのだとか、 運動刺激を脳に入力する「感覚遊び」であるという説など (実際、あきのすけは滅多に目を回さないのだ) 諸説あるのだが、
先日、踊りに含まれる回る動作について論じた新聞記事の中で、示唆に富む記述があった。 (以下、朝日新聞日曜版 「心体観測」漏れる動作⑧ 細馬 宏通 5/25掲載分より引用)
(前略) 若衆の動きを真似ようと思っても、いざ旋回し始めると、彼の姿はすぐに視界から外れてしまう。手本を見るどころか、周りの景色を見ることすらままならない。 回ることで、目に見える世界からこの身は引き剥がされ、足の運び、腰のひねり、所作の感覚が浮かび上がる。回ることは、見ることをあきらめることであり、見ることからの離脱なのだ。 (後略)
視覚からの情報入力に頼っているがため、しばしば多すぎる刺激に混乱し、 自分の身体を感覚的にうまく認識できない (自分の手足がどこにあるか解らなくなる、とは多くの成人当事者が語るところである) という特性を持つ自閉症児にとって、 視覚をシャットアウトし、自分の体を確認するための行為として、 回転運動はあるのかもしれない。
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