|
人は人にしか救えない |
朝日新聞に連載中のシリーズ記事「ニッポン人脈記」。 今週は阪神淡路大震災を契機に生まれた様々な活動に携わる人々を取り上げている。 その第4回「人のぬくもり 手紙は宝」という記事では、孤独な高齢者に手紙を書いて励ます活動が紹介されていた。 その活動の主催者の言葉「人は人にしか救えない。」 その言葉が、ここ数日胸に引っかかっている。
科学技術立国ニッポンに戻ってきて以来、ずっと違和感を感じていることがある。 「○○大学ではこのほどこのような技術が開発されました」という類のニュース。 介護ロボットにペットロボット。 バーチャルリアリティー。 遠隔地通信。 生身の人間がやってきたもろもろの仕事を、なんでも機械に肩代わりさせようという発想。 それにより、世の中が便利に豊かになると、開発した人間も伝える人間も、無邪気に信じて疑っていない。
二十世紀、まだ子供だった私もそう思っていた。 家事はロボットがやってくれて、勉強はコンピューターが教えてくれる、食べ物は工場で衛生的に生産される、それが科学の勝利であり近未来の理想形だと。 けれども二十一世紀が来て大人になった私は、次々に実現していく近未来アイテムに戸惑っている。ケータイは通話にしか使わない。自分で焼いたパン、庭で採れた野菜が一番おいしい。CGを多用したアニメは無機質で生理的に好きになれないし、ゲームをするヒマがあったら本を読むか、山や浜辺を散歩したいと思う。 そして息子の障害は、医学では治せない。 人とうまく関われない彼に、この世界での生き方を教えるのは、人間にしかできない。 彼だけじゃない。人間を育てるのは、人間にしかできない仕事のはず。 人間がやらなくちゃいけない仕事のはず。
日本の科学技術が世界に誇れるものであることは間違いないけれど、いま世の中で起きている全ての問題がそれで解決できるというのは幻想に過ぎないのではないか。 医療・教育・福祉。 人にしかできない仕事があるということ、機械に肩代わりできない仕事があるということに、そろそろ気がつかないといけないのではないだろうか。
スポンサーサイト
|
|