|
死語の世界 |
最近あまり聞かなくなった言葉。
『安物買いの銭失い』 価格破壊の名の下に、 「安いのだから質が悪くても我慢しよう。」「安かったから捨てても惜しくない。」 そうした消費行動が、結局はごみを増やし、良心的な製造業者を圧迫してきたのではないだろうか。 価値のあるものには応分の対価を払う。品質が伴わないものにはクレームをつける。使える道具は人に譲るなどして長く使う。「消費社会」アメリカで学んできたことだ。
『公共の電波』 私が子供の頃、テレビに映るというのは生涯一度あるかないかの一大事だった。テレビカメラを街角で見かけた日には、小学生はピースサインを出しながら競って群がるのが常だった。 たとえ民法であっても、番組を私物化するような発言や、低俗な番組は視聴者から「公共の電波でなんということを」というそしりを受けたものだった。 紅白歌合戦の衣装が不謹慎だという抗議がNHKに殺到したそうだが、昔ならお茶の間の中で「嫌あねえ、恥ずかしいねえ」と言いあって済んでいたのではないか。年末年始の家族団らんの時間を割いてわざわざ抗議電話やメールを打った人々は、それで気が晴れたのだろうか。 芸をしているのを見たことがない「芸人」の井戸端会議や、出来のよくないドラマのNGシーンなどをだらだらと垂れ流して恥じない者達こそ、よっぽど電波を私物化し無駄遣いしていると思う。 『公共放送』でないから、いいのか。
『職業に貴賎なし』 小学校の授業で、給食の調理員さんの仕事を学習したあと児童に感謝の手紙を書かせたら、「彼らはお給料をもらって仕事でやってるだけなんだから、そんなもの必要ない」とねじこんだ親がいたそうだ。 厳しい条件の仕事を、薄利で引き受けてくれる人々がいる。 そういう人々がいるから私達の生活が成り立っている。 「だから感謝しなさい。」私は確かにそう教わった。ほんの三十年前のことだ。 だが平成の御世では、「才能もなく努力もしなかった人がしかたなくそういう仕事をしているのだから、蔑みなさい」ということになるらしい。 だってそう言っている政府を国民が支持しているのだもの。
スポンサーサイト
|
|