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決断できないということ |
今日も朝から衝突してしまった。 イヤイヤ攻撃を避けるべく着替えは寝ている間にさせたものの、トイレでおお揉め。「かあちゃんいや!とうちゃんいや!おしっこでない!がっこういかない!」…と言いながらスクールバスにはニコニコと乗り込んでいくのだ。朝からイヤ、キライと否定語を連発されれば、反抗期とわかってはいても気分が悪いことこの上ない。 冷静になると、「おはよう、トイレ、おきがえ、ごはん」とつぶやいているので、何をしなければいけないかは解っている。ただ、親からの指示には従いたくない。 「しなければいけない」「でもしたくない」どうしてもその折り合いがつけられないらしい。
2才のころのパニックは、あきのすけが何を要求しているか、何を不満に思っているのか私が理解できないのが原因だった。あれはあれで辛かったが、まだ体も小さく体力もなかったから、最終手段「泣く子を担いで帰る」のも比較的簡単だった。 診断がついてからはこちらの指示が理解できるように言い方や絵カードなど表現を工夫したり、彼が動き出せるまで(例えば読みかけの絵本が終わるまで)待ったり、道順など譲れるところは譲ったり。 だが、この「決断待ち」というやつはたちが悪い。 最初からはっきり「いや」というのはまだマシなほう。 「お外あそびに行く?」と声をかけると、靴をはいて出てくる。が、足取りが重い。それか、あらぬ方向に向かう。「滑り台行こうよ。鍵持って来なかったから、車には乗れないよ。」「すべりぃ、いや。」「車乗る?じゃあ鍵とりに帰らなきゃ」「かえる、いや。おそと、いや。」 …どっちやねん。 結局本人が納得するまで待つしかないのだが、関西育ちのあき母は気が短いので、いつまでもウジウジしてられると、「えーいうっとおしい、つきあいきれんわ」とついプッツンしてしまう。 その優柔不断さは、父ちゃん似だな。と、思わずつぶやいてしまうのだった。
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