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「メンターは親の手本ではない」 |
現実のメンター活動とは、違う場面でのことなんですが…。
成功体験を語るのは控えた方がいいよ、と先輩親さんに忠告を受けたことがあります。 「うちの子もそうなれるかも」と思わせておいて、そうならなかった時に かえって深く相手を傷つけることになるから、と。
ただ、うちの子が小さかった頃には 『障害=不幸』 『その不幸に負けず健気に我が子を支える明るく聡明な母親』 みたいな図式しかなかったから 「いや私とてもそんな聖母マリア様みたいになれませんけど?」 「障害児育てるの確かにシンドイけど、別に24時間365日泣き暮らしてるわけでもありませんけど?」 と反発する気持ちもあったし
明石洋子さんみたいに「ウチの子結構重度の自閉だけど、公務員やってますよ~」っていう話を聞けば 彼女と全く同じことは出来ないまでも、少しでも見習ってみたいと思ったし
だから、悲惨な未来しか想像できなくて落ち込んでしまっている人には 「それなりに楽しくやってるよ」って話もしてきたのだけれど
出し方を間違えると 自慢話と受け取られてしまう場合もあるんだなあ…と。
A太郎の場合は 結果的に知的障害はなくて 性格的にも穏やかで、真面目で 服薬も結局しないで来れて 中学以降は学校でパニックを起こすこともなくて 先生方に可愛がられて平和な学生生活(ただし、いわゆる「ぼっち」なのは仕方ない)
彼の持って生まれた気質に助けられた部分が大きいので 「みんながそうなれるわけじゃない」 「たいした苦労じゃない」 と評されても仕方ないのかなとも思うのだけど
ただ、乳幼児期、先が見えなくて 明日自分たちが生きていることすら確信が持てなくて まして1年後3年後10年後のことなど思いもよらなかった もし同じ思いをしている人がいるなら
こうなれとは言わない こうなれるという保証もない ただ可能性はゼロではないと伝えることが
受け手にとって希望となるのか、絶望となるのか。
「不幸沼にはまるのが当然」と思われるのも嫌だったけど 「これだけ成功例があるんだからアナタにも出来るよね」って思われるのも 確かにプレッシャーだろうなっていうのは解るので
なんだろう…ワケのわからない「外野の期待」的なものは無視すればいいんだよっていう 根本のところは変わらないと思うんだけどな…。
あ、もしかして 『その不幸に負けず健気に我が子を支える明るく聡明な母親』 ポジションに いつのまにか意図せず位置付けられてしまった的な?
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