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心は折れるものじゃないと思う |
「心が折れる」という表現を、最近よく目にする。
そんな日本語聞いたことないけどなあ、 まあ言いたいことは何となく分かるけどなあ、となんとなくモヤモヤしていたんですが
同じように感じている人はいたようで ぐぐってみるといくつかヒットしてきましたが さすがNHKの解説が一番解りやすかったです。 (以下引用) 2010年12月 6日(月) 「心が折れる」とは? 「くじける」「めげる」にかわって、近年よく耳にする『心が折れる』という表現。【諦める・挫折】といった意味で「厳しい練習に何度も心が折れそうになった」などと使われます。しかし、本来「心が折れる」とは【気持ちを相手側に曲げる】という意味だったのですよ。「折れる」は「双方が折れて話がまとまった」など、【譲歩する】という意味でも使われます。これは、自分の主張・気持ちを曲げて相手側に寄り添わせるということですよね。実際に、江戸後期の読本『春雨物語』には「山の物海の物ささげ出でてもてなすにぞ、是に心折れて飲みくらふ(=山海の珍味でもてなしたら、機嫌よく飲み食いした)」とあります。これは相手側に気持ちを曲げて"打ち解けた"、つまり【心が和らぐ】という意味です。また、昭和初期の小説『抒情歌』には「父は母の死に心折れて、私達の結婚をゆるしてくれましたの」とあります。これは"妥協する"方向へ曲げた、つまり【気弱になる】という意味です。しかし、現在の「心が折れる」は、"曲げる"よりも"ポキッと折れる"イメージが強く、新語を解説した本には【懸命に努力してきたものが、何かのきっかけで挫折し立ち直れなくなる状況】と解説されています。この意味では、20年ほど前にある女子プロレスラーが「試合の時考えていたのは、相手の心を折ることだった」とインタビューに答えたという記録もあるのですよ。これは相手から再び立ち上がろうとする気力を徹底的に奪おうとしたということ。簡単には修復できない、立ち直ることの難しい心の状態、それが「心が折れる」ということなのでしょう。でも、最近ではちょっとしたことですぐ「心が折れる」と使う例が見られます。この表現も時代と共に変わっていくのでしょうか。
折れるものっていうのは、物理的性質として、硬くてもろいものなんですよね。 ポッキーとか、シャーペンの芯とか。 上で挙げられている古い使用例でも、かたくなな心がやわらぐ様を指して「折れる」と言っている。
“柳に風折れなし”というように、しなやかなものは折れない。
だから「心が折れる」という表現を使っている人を見かけると ああ、かわいそうにと思う以前にどうしても あなたはそんな弱っちい心しか持ち合わせていないの?って言いたくなってしまう。
ガラス細工のように繊細なのか あるいは日々ものすごく緊張を強いられてガチガチになって生きているから 「折れやすい」硬直した思考回路に陥ってしまっているのかな。
くじける、には全く違和感はないんですけどね。 足首ぐらい太くて丈夫なものが、一時的にちょっと痛むけど、しばらく時間が経てばまた復活する。 人間、いろいろ嫌な目にあっても、 それを乗り越えることでだんだん図太くしなやかな心の持ち主になっていく。 そうした心は、簡単には折れやしませんよ。
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映画の秋 |
今朝の新聞で知ったのですが、
「幸せの太鼓を響かせて~INCLUSION」 が、今週末からうちの県内でも上映されるそうです。
市内、じゃないのがちょっと痛いところですが、地方住まいのつらさで仕方ないですね。
この映画館さんは11月には海洋天堂も上映してくれるとのことで なんとか都合つけて観に行きたいな~と思います。
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It's Just a Different Seed |
「オランダへようこそ」の原文に
It's just a differnt place.
という文があって 読んだ当時、非常に心に沁みる思いをしたのですが。
最近、某掲示板に書き込んだ文が あ、これってさしずめ“It's Just a Different Seed.”だよな。とふと思いました。
こんなに一生懸命手をかけて育てているのに なかなか結果が出ないことに少し疲れてしまったお母さんに対して。
世界にひとつだけの花、って歌がありますけれど 荒地にまかれて誰に世話をされなくてもぐんぐん育つ花もあれば 水をやり肥料をやり虫取りをして寒い時には温室に入れて 丁寧に育てないと枯れてしまう花もある。 乾燥を好む花に水をやりすぎれば、根ぐされを起こして枯れてしまうこともあるでしょう。
たまたま手のかかる花の種を授かった私たちは それでもその子の育つ力を信じて どんな花が咲くのか、楽しみに待ちましょう。
隣の芝生は青いもの。 隣の庭に咲く花は、手をかけなくても勝手に育つ丈夫な花だけど うちの庭に植わっているのはちょっと気難しい花。
でもどっちが良い悪いじゃないんですよね。 たまたま、種の種類が違っただけ。
ちなみにバラって、育てるのがめちゃくちゃ面倒だそうですね。 我が家の庭に現実に植わっているのは、毎年勝手に生えてくる宿根草ばっかりですが。 ガーデニング下手な私は、水のやりすぎでラベンダーを何株か枯らしてしまいましたが。
大丈夫、人間はちょっとやそっとでは枯れません。 きっと親が思う以上に丈夫な生き物です。
あ、そうだ、来春に向けてそろそろチューリップを植えなきゃですね。
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そろそろ七五三の季節ですが |
いつも入り浸っている(爆)障害児の母掲示板で、 そろそろ七五三の話題が出る季節になりました。
過敏やこだわりのある子だけど、袴やスーツ着てくれるかしら…。 神社でのご祈祷の間、おとなしくしていてもらうのは難しいかも…。 写真屋さんで暴れたらどうしよう…。
子どもを愛すればこそ、 伝統行事を盛大に祝ってやりたい気持ちと 形式にとらわれて子どもを傷つけはしないか、 よけいな負担をかけてかえって苦い思い出の日になってしまうのでは、と 親は心揺れるのです。
「形なんかどーでもいいじゃん。 要は子どもが成長したことを家族みんなで楽しくお祝いしてあげられれば。 うちなんか、近所の神社でお参りだけして、家の前で記念写真撮って、スーパーの千歳飴なめて済ませたよ。」
そんなお話をするわけですが。
そもそも七五三の由来って、なんてことを思って、なにげなくウィキペディアを開けてみたのですが。
ちょっと嫌な記述を見つけてしまい、心がざわついています。
『障害者を間引く為の期間でもあり、「七歳までは神のうち」という考え方と結びついていた。また、これに逆らう家の子は神隠しとして処理された。』
この前後には、当時の日本の乳幼児生存率が低かったこと、 そのため七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられるという状況があったこと、 農村部の間引きや堕胎は他の家族を守るためやむをえない措置と考えられていた、といった記述があります。
当時の時代背景、歴史的事実として、あったことなのかもしれません。 でも。
間引くって。 神隠しとして「処理」って?
障害のある子は他の村人により殺された、もしくはどこかへ捨てられたってこと? それは正当化されて良いことなの?
七五三をまともに祝うことが難しいような障害のある子は 殺されても仕方ないってこと?
お祝い事の説明文の中に、異物のように記されたこの数行が。とても痛くて。 それはきっと、昔話として笑い飛ばせない、現代にも確かに生きている排除の思想を嗅ぎ取れてしまうからで。
「読んで傷つく人がいるから削除しろ」というのは違うと理性では思うけれど。 ちょっと、ね。キツイなあ、これ。
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高齢・障害者雇用支援機構 |
独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 というのがあるそうです。 そこが事業の一環として
「障害者雇用職場改善好事例」 “企業の障害者雇用及び職場定着を進めるため、雇用管理や職場環境の整備などを改善・工夫し、様々な取組を行っている事業所の中から他の事業所のモデルとなる好事例を募集し、優秀事例を表彰するとともに広く一般に周知しています。
今年度は「発達障害者」をテーマに募集を行い、75事例の応募がありました。入賞事業所は以下のとおりです。”
ということで、 この企業ではこういう良い取り組みをしていますよ、ということをHPに掲載しています。
http://www.jeed.or.jp/activity/education/h23_kaizen_company.html
正直、この独法の存在自体知らなかったのですが(爆)
「ここはいい会社だ」って、そこに就職希望者が殺到するのではなくて 良いノウハウが全国の、ひとつでも多くの事業所に水平展開されることが重要ですよね。
この講評だけではいまいちピンと来ないので 各社が応募した際の資料とかプレゼン内容、 具体的な詳細がどこかで見られるようにしておいていただけるともっとありがたいなあって思うんですが。
個人的には 「障害者の方へ」のページの “就労支援機器情報”や “在宅就業”なんかが興味深かったです。
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